友人の訃報

1/7の夜(正確には仕事から帰ると日は替わっていたが)突然、友人の訃報が入った。
その人は、大学のクラブの同級生(女性)だ。事故とかではなく、胃ガンだったらしい。


1/8は通夜に参列するため名古屋まで行ってきた。
名古屋駅で同じく大学のクラブの友人(男)と待ち合わせをして、クラブ代表として参列した。
異性の友人ではあるが、洞窟探検という特殊なクラブだったし、合宿ではまさに同じ釜の飯を食った仲間だったので、本当にいろんな想い出がある。待ち合わせをした友人も含めて、もうかれこれ12年くらい会ってない。それでも、訃報の連絡は昨晩中にほぼ全員取れたことは短い間での深いつながりを感じてしまった。
通夜は立派な場所で、ものすごい人数の参列者のなか行われた。会場に入れないほどの人数だ。参列者は女性が多い。しかも、小さい子ども連れが。自分も含めてそういう年代だから。
私は会場に入れなかったので、焼香の順番が来るまで遠目に遺影を眺めていた。焼香の順番が来て遺影がハッキリ見えると、熱いものがこみ上げてきた・・・解散の後、本人への最後の挨拶のため、棺へ。棺の中の友人は遺影とは別人のようにやせ細っていた。もう涙をこらえることはできなかった。
みんなの中で一番元気そうだったのになぜ?うちとあまり変わらない年の子どももいる。苦しい闘病生活だっただろう。もっと生きたかっただろう。悔しかっただろう。
引き上げる前にご主人と軽く挨拶を交わす。すでに覚悟はできていたのだろう。とても毅然とした立派な方だった。自分が同じ立場に置かれたら同じように振る舞えるだろうか?きっと無理な気がする。
名鉄電車で名古屋駅まで戻る途中、一緒に行った友人とはほとんど何もしゃべれなかった。あまりにもつらく、ショックだった。


名古屋駅について、友人と一緒に味噌煮込みうどんを食った。
亡くなった友人には、学生のころ味噌カツを作ってもらって食ったことがあったなぁ・・・
うどんを食ったら少しは話ができるようになった。昔の想い出をほんの一時間ほど懐かしんだ。


私は16年前に父を亡くして以降「死」について語ったり考えたりすることを避けてきた。
どうしてもそのときのことを思い出してつらくなるからだ。
テレビで死亡のニュースとかやっていて子どもから聞かれても、適当にごまかしていた。
しかし、避けては通れないことだということを改めて感じた。
そして、真剣に考えて生きていかなければならないと強く思った。
私は今を悔いなく生きているのだろうか。これからを悔いなく生きていけるだろうか。


高校の卒業式の日に、担任の先生から言われた『絶対に親より先に死ぬな』という言葉を思い出した